「木六竹八」ということば|木は六月、竹は八月
2026.10.11
「木六竹八塀十郎(きろくたけはちへいじゅうろう)」
古くから伝わる言葉です。木と竹、そして塀の、それぞれの時期を語ったものとされます。
弊社が屋号に掲げている「木六竹八」も、この言葉です。この記事では、熊本で九州各地の銘木を扱う木六竹八が、この言葉について整理します。

もっとも知られた解釈
一般によく語られるのは、伐り時の話です。
- 木は六月に伐るのがよい
- 竹は八月に伐るのがよい
- 塀は十月に塗るのがよい
ここでいう月は、旧暦(陰暦)です。旧暦の六月は、現在の暦でおおよそ七月頃。旧暦の八月は、九月頃にあたります。
「塀十郎」は語呂を整えるために人名めかしたもので、十月を指すとされます。
諸説があります
ただし、この言葉の解釈は一つではありません。
別の解釈
- 木は六分、竹は八分に割る/削るという、寸法や割合の話とする説
- 木の皮の剥ける時期、竹の皮の剥ける時期を指すという説
- 地域によって伝わる月が異なるという指摘
由来をはっきり確定できる言葉ではありません。古い言い伝えには、しばしばこういうことが起こります。

現代の伐採適期と比べてみる
ここが、木を扱う立場から見て興味深いところです。
現代の林業では、木の伐採適期は秋から冬とされるのが一般的です。おおむね十月頃から翌年二月頃。
理由は明快です。
- 樹液の流動が少ない。木の活動が止まる時期
- 含水率が低い。乾燥が進めやすい
- 虫害や菌害が少ない。夏に伐った材は虫がつきやすい
- ゆっくり乾く。急激な乾燥による割れを避けられる
つまり、「木は六月(新暦の七月頃)」という言い伝えは、現代の常識とは合いません。
竹のほうはどうか
一方、竹については事情が違います。
竹は、春から夏にかけてデンプンなどの養分を多く含み、これが虫を呼びます。秋以降、養分が減った時期に伐ると虫がつきにくいとされます。
旧暦八月は新暦の九月頃。こちらは、現代の知見とおおむね合致します。
言い伝えをどう受け止めるか
では「木六」は間違いなのか。そう単純な話でもないと、私たちは思っています。
- 地域や用途によって、最適な時期は変わります
- 建築材と、道具材と、薪では条件が違います
- 旧暦は太陽暦とずれるため、年によって季節感が動きます
- そもそも、伐採以外の意味だった可能性もあります
古い言葉には、そのまま受け取れない部分と、いまも生きている部分があります。竹の話が現代の知見と合うこと自体、この言い伝えが観察に基づいていたことを示しています。

時期を選ぶという発想
この言葉から受け取るべきことがあるとすれば、「時期を選ぶ」という発想そのものだと思います。
木は、いつ伐っても同じではない。竹も同じ。そのことを知り、適した時期を待つ。待つことが仕事の一部であるという感覚が、この短い言葉には込められています。
私たちの仕事も、待つことの連続です。
- 木が育つのを待つ(百年、五百年、千年)
- 伐るべき時期を待つ
- 乾くのを待つ(二十年、三十年)
弊社が扱う材には、自然乾燥に20年以上かけたケヤキや、伐採後30年かけて乾かした杉があります。この時間を縮める方法はありません。
七代にわたって
木六竹八は、7代にわたり木こりを生業としてきた家系です。
七代。一代を30年と数えれば、200年を超える時間です。その間ずっと、この家は山に入り、木を見て、時期を選んで、伐ってきました。
父の代が積んだ材を、子の代が使う。木を扱う仕事とは、そういうものです。
受け継いできた名木を、次の世代へ渡していく。それが私たちの使命だと考えています。
まとめ
- 「木六竹八塀十郎」は、木・竹・塀それぞれの時期を語った古い言い伝え
- 一般には旧暦の六月・八月・十月とされるが、諸説あります
- 現代の伐採適期は秋から冬。「木六」は現代の常識とは合わない
- 一方、竹の八月(新暦九月頃)は現代の知見とおおむね合致する
- この言葉が伝えるのは、時期を選び、待つという発想
木六竹八では、九州各地の銘木を随時ご紹介しています。材の樹齢や乾燥年数も含めてご案内できます。
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